『経済ってそういうことだったのか会議』 第6章 アジア経済

この本が書かれたのは、アジア通貨危機が起きて間もない頃だった。アジア通貨危機とは、1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。

佐藤の疑問は、アジア通貨危機はなぜ起きたのかということである。

通貨危機の始まりは、タイのバーツの大幅の下落である。当時タイは経常赤字が続いていた。経常赤字は通貨引き下げ圧力になるという。

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タイの経常収支
タイの経常収支の推移 - 世界経済のネタ帳

確かに90年代は経常赤字であり、97年にかけて赤字が増加している。

なぜ経常赤字が通貨引き下げ圧力になるのだろうか。経常赤字は経常収支がマイナスであることを指すのは分かるが、そもそも経常収支とは何なのか。経常赤字とはどのような状態を指すのか。

経常収支とは?

GDP

経常収支を考える際には、GDPを考えるとよい。GDPは「その年にその国で生み出された財・サービスの総付加価値」を表す。

GDPを計算する際には、生産量を用いるというのが定義通りの素直な方法である。しかしながら、生産統計を正確に取るのは難しいため、比較的計算が容易な支出量に着目する。生産されたものに対してでなければ支出はできないためだ。

支出には3通りある。消費・投資・政府支出である。ジャガイモを例にとれば、消費は食べてしまうことに相当する。投資は今年食べるのではなく、来年のために取っておくことに相当する。政府支出は政府が支出してジャガイモを確保することに相当する。すなわち

生産≡支出
  ≡消費+投資+政府支出

が成り立つ。他国とのやり取りを考えると、輸入は支出の余剰分に相当し、輸出は生産の余剰分に相当する。よって

生産+輸入≡支出+輸出
     ≡消費+投資+政府支出+輸出
生産≡消費+投資+政府支出+輸出ー輸入

ということになる。ここでいう輸出入はモノ、サービス、利子などを含む。

新たに生み出された価値は誰かのものになる。すなわち、雇用者か企業(株主、資本家)のものになる。どちらも人であるため、収入は「使う」「取っておく」「税金に取られる」のいずれかとなる。よって

生産≡雇用者所得+営業余剰
  ≡消費+貯蓄+税金

これが生産、支出、分配の観点から見たGDP三面等価と呼ばれる関係である。経常収支は「輸出ー輸入」と定義される。よって

経常収支≡生産ー(消費+投資+政府支出)
    ≡生産ー支出

である。経常収支は単にその国のその年の生産と支出の大小を比べたものであることが分かる。生産の方が多ければ経常黒字、支出の方が多ければ経常赤字となる。 なお、貿易収支は輸出入の中でもモノ(財)の出入りを比べたものであり、経常収支の計算項目に含まれる。

分配面で見れば

経常収支≡消費+貯蓄+税金ー(消費+投資+政府支出)
    ≡(貯蓄ー投資)+(税金ー政府支出)

である。「税金―政府支出」は財政収支の定義そのものであるため

経常収支≡(貯蓄ー投資)+財政収支

が成り立つ。80年代のアメリカでは財政赤字と経常赤字が問題視されていた(双子の赤字)。上の式を見れば、財政赤字であれば経常赤字になりやすいと言える。財政赤字であるにもかかわらず経常黒字であるということは、財政赤字を打ち消すだけの貯蓄があることを意味するためだ。ちなみに日本は財政赤字でありながら経常黒字が続いている。貯蓄率の高さがうかがえる。

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経常収支の推移(1980~2018年)(アメリカ, 日本) - 世界経済のネタ帳

国際収支統計

GDPに加えて押さえておくべきは国際収支統計である。これは次の3つに大別される。

  1. 経常収支:財・サービス・労働・資本への利子配当支払い、受取りの出入りを記述
  2. 資本収支:資本(債券)の出入りを記述
  3. 外貨準備高増減:政府・中央銀行保有する貨幣用金・IMFへの準備預金の変化を記述、小さいため零とみなせる

経常収支は前述のとおり、生産と支出の大小(⇔財・サービスの出入りの大小)を表すものである。また、資本収支は債権の出入りの大小を表す。

日本車が多く売れた場合、生産が支出より多い(財・サービスが出ていく方が多い)と言えるため経常収支は黒字化する。 逆に、日本人がアメリカ企業の社債を大量に購入した場合、債権が入ってくるため資本収支は赤字化する。

さらに具体的に考えてみる。200万円の自動車をアメリカに輸出し、50万円のオレンジを輸入したとすると、日本は150万円分のドルを手にすることになる。 ドルは将来に消費するための「権利」だと見なせるため、債権と考えられる。すると、日本は150万円の経常黒字である一方で、資本収支は150万円の赤字となる。

すなわち、外貨準備高増減の変化や、統計上の誤差を零とみなせば経常収支と資本収支は常に相殺される。 経常黒字であるということは、資本赤字であることを意味する。日本は資本赤字なのだ。

赤字と言われると日常的な感覚では悪いことのように思えるが、マクロ経済を考える際には出入りの大小をそう呼んでいるだけであり、状態の良し悪しを表しているわけではない。 逆に、経常黒字であることが良いとは必ずしも言えない。

タイの経常赤字

当時のアジアは(今もそうだが)輸出によって経済を支えていた。輸出が輸入より多いなら、経常黒字になっているはずである。そうなっていないのは、それ以上に資本が流入していたことを意味する。タイの成長を見込んだ他国からの投資である。前述のとおり、経常赤字であるということは、資本黒字であることを意味する。

また、タイのバーツはドルとの為替レートを固定する政策を取っていた。一方、ドルは経常赤字下の政策としてクリントン政権下で「強いドル政策」を取っていた。 ドルが強くなったためにバーツも強くなっていった。バーツ高はタイの輸出を妨げるため、タイの成長が鈍化する。そのため、投資家たちは資金を引き揚げるべくバーツ売りに転じた。 また、ヘッジファンドが、バーツ高はタイの実体経済と乖離していると判断したことも売りのきっかけとなったらしい。

経常赤字が通貨引き下げ圧力になったというのはこういう経緯だと考えられる。根底にあるのはバーツのドルとの連動である。

もっとも、タイが他国からの投資を集めることができたのもドルとの連動があったためである。

海外からの投資が引き上げられたことによって、国内の投資が冷え込み、企業の倒産などにつながった。

アジアは相互でのつながりが強い。タイをきっかけに、アジア諸国に影響が広がっていく。

なぜタイだったのか

通貨危機によって特にダメージを受けたのはタイ、インドネシア、韓国であり、中国や台湾は比較的軽かったという。その要因はマーケットメカニズムが働いていなかったためだという。

  • タイ:自由化による海外資本の流入を狙ったが、為替レートは固定していた
  • 韓国:財閥という一種の保護政策、また財閥の投資判断ミス
  • インドネシア:政治不安、不正の横行
  • 中国:マーケットを規制し、資本流出入を制限
  • 台湾:マーケットメカニズムを機能させていた

なお日本へのダメージは限定的だったものの、バブルが崩壊して間もない時期であったり、消費税の増税などの時期と重なっていた。通貨危機は「失われた20年」が始まる原因の一つであると言われている。

タイはどうすれば良かったのか

開発経済学という分野があるらしい。ヌルクセは、貧しい国は自国で消費するので精一杯で、貯蓄や投資ができない。その結果、成長もできないという「貧困の悪循環」を提唱した。 自国にお金がないなら、他国から持ってくるしかない。そのお金で何を作るか。素材(川上)と消費財(川下)の二つの候補がある。

消費財の方が成長につながることが分かっている。これを後方連関と呼び、ハーシュマンが提唱した。

消費財の中でも、今輸入しているものを作るのがよい。そうすれば外貨を節約できる。明治維新後の日本の場合は繊維だった。富岡製糸場はその典型である。もっとも日本は維新の前から生糸を輸出していたため、輸入量を減らすためというよりは輸出量を増やすためという形ではあったが。富岡製糸場が操業を開始したのは1872年のことであり、八幡製鉄所が操業を開始した1901年よりも30年近く前である。鉄は素材であるため、後でもよかったと言える。

アジアは80年代に、日本からの技術を輸入することで生産設備を整えた。そうして生産されたものを消費したのがアメリカである。アメリカはレーガノミクスのもと、減税や規制緩和を行った。その結果が双子の赤字となった。これは輸出以上に輸入が多かったことを示している。実際、当時のアジア諸国の最大の輸出相手国はアメリカだった。

レーガノミクスが永遠に続くことはなく、プラザ合意によってドル安円高となった。その結果アジア諸国は日本へと輸出先を変えると思われた。 しかしながら、日本ではリクルート事件が起きたためにそれどころではなくなってしまった。

そこで出てくるのがアジアNIESである。発展しているアジアの中でも比較的所得の高い韓国、台湾、香港、シンガポールが受け皿となり、投資を続けた。 その結果、通貨危機によって韓国が深刻なダメージを受けることになる。

今後

この本が書かれた当時は中国はアジアの1プレーヤーという印象だった。現在では中国の存在抜きではアジアは語れないだろう。 また、アジア諸国アメリカや日本といった大国に影響を受けてきたということも分かった。その中でも成長を続けるバイタリティは底知れないものがある。 中国の政策が他国に与える影響についても別の機会に考えてみたい。

GDP国際収支統計について参考にした。

経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える

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