『チャーチル 不屈のリーダーシップ』 ~その3~

チャーチルとユーモア
ウィットに富んだやりとりも多く残されている。いくつか例を挙げる。

前回の社会保障制度の財源のために、ロイド・ジョージ財務相増税を予算案に盛り込んだ。これを保守党は貴族院で否決し、アスキス首相を総選挙へと追い込んだ。与党である自由党はこの選挙で過半数を維持できなくなり、アスキス首相は政権維持のためにアイルランド国民党の支持を取り付けるしかなくなった。保守党は対決姿勢を強め、保守党と連携するアルスター(アイルランドの一地域)のプロテスタント武装を開始した。チャーチルはこの戦いに真っ向から関与したため、下院では暴力行為の対象になった。

1912年11月13日、アルスター問題の審議の際に、保守党強硬派が閣僚席に坐るチャーチルとジャック・シーリー陸相に向かって「裏切り者」と叫んだ。チャーチルはいかにもこの人物らしく、ハンケチを振った。冗談のつもりが挑発ととらえられ、アルスター統一党のロナルド・マクニール議員が議長席の革装の議事規則集をつかんで投げつけた。一同が固唾をのむなか、規則集は放物線を描いてチャーチルの額に命中した。チャーチルは批評家のウィリアム・ハズリットの言葉を引用して、こう応じた。「身体の傷は気にしない。つらいのは敵意だ」。その後、チャーチルは命を狙うと脅されていても、ベルファストの統一党会館での演説を予定通りに行っている。

緊張した場面に引用で一言述べるあたり、どこかとぼけている。
その後、チャーチル海相として第一次世界大戦に臨む。ドイツの勢力拡大に伴う戦争を予期していたチャーチルは十分な戦力を整えていた。 しかしながら、ガリポリの戦い(ダーダネルス戦役)における上陸作戦の失敗の責任を取る形で辞任することとなる。 映画でも、チャーチルの指導能力について、ガリポリでの失敗を引き合いに出して批判する場面が出てくる。 失意のチャーチルは大戦の様子を「世界の危機(The World Crisis)」として出版する。この本はベストセラーとなり、チャーチル議席を失っている間の収入源となった。邦訳は手に入らないが、原作は簡単に入手できる。

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第一次世界大戦後、自由党社会主義に傾いていくのを止められないと判断したチャーチル自由党を離党する。このとき、

「党を移るだけならだれでもできる。しかし、その後にもう一度移るにはかなりの技が必要だ」

と語ったという。こうして保守党として当選したチャーチルボールドウィン政権で大蔵相に任命される。大蔵相は次期首相候補とされる役職であり、チャーチルの父のランドルフ卿がかつて務めた職でもある(ランドルフ卿は首相にはなれなかった)。チャーチルは感激のあまり、

「わたしが目標にしていた職です。父が大蔵相だったときのガウンはまだ手許にあります。この素晴らしい職で首相に仕えられるのは光栄です」

と涙ぐんだという。

本当かどうかはともかく、こういうことが言える(チャーチルなら言いそうだと思われる)のはやはりすごい。父親ならともかく、ガウンに絡める発想はなかなか出てこない気がする。しかも即興というから驚きだ。