『なぜこの人と話すと楽になるのか』・『なぜあなたの話はつまらないのか』 ~話を聞く~
(2018/10/15) 段落などが読みにくいため少し修正しました
「コミュ障」という言葉が広く使われている。「コミュ障」という単語が意味するのは、情報の共有が苦痛というよりも、他愛のない雑談が苦手であるということである。
コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。 (中略)あくまでも、できないのは休み時間などに行われる、友人や知人たちとのどうでもいいけど実に楽しげな会話である。多くの人は、学校生活や仕事上でどうしても必要な会話、事務的な応対については、割と可能であったりもする。 dic.nicovideo.jp
この記事では、この「コミュ障」に焦点を当て、『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』という本に基づいてその改善方法についてまとめる。 というのも、私も「コミュ障」に分類されるためだ。
雑談とは
雑談としてのコミュニケーションの目的は沈黙から生じる気まずさを避けることであるという。これはその場にいる全員が参加するゲームとしてとらえることができる。雑談は一種の毛づくろいであり、雑談の内容ではなく雑談しているという事実に意味があるというのだ。
いつだったか飲み会に行った後、帰り道が一緒になった女性に飲み会で出た話題について改めて聞いたところ、「そんな話出たっけ?覚えてない」と言われて驚いたことがある(たかだか2時間前に話した内容なのに!)。内容は重要ではないのだ。
沈黙は確かに気まずい。特に気まずいのは初対面や数回しか会っていないような人とのかかわりだ。沈黙していても気まずくないというのは相当親しい間柄か、赤の他人かのどちらかだろう。
沈黙を生じさせないようにするには、誰かが話すか自分が話すかのどちらかが必要である。ただ、「コミュ障」に自分語りは難しい。自分の話は相手にとって面白くないだろうと思っているためだ。案外そんなことはないのだが、そんなことはないと分かっていても気後れするものだ。
前述のニコニコ大百科では、「ダウナー系コミュ障」として次の要素が挙げられている。
- 人見知りが強い。
- どもりがちで、口下手。滑舌が悪くて、話すこと自体に劣等感を抱く。
- 文章だと理解できるが、会話になると軽いパニックに陥ってしまい、喋れない。
- 話しかけられてもはっきりと応じることが出来ない。
- 必要以上に空気を読み、自分の発言がその場を悪くする、嫌われるのではないかと考えて黙ってしまう。
- ぼっちなので、そもそも喋る人がいない。
わかる。
自分で話せないということになれば、相手に話してもらうほかない。ただ、相手が勝手に話し出してくれるとも限らない。相手も「コミュ障」とまではいかなくとも、話が得意であるとは限らないためだ。
この状況を打開するには質問が必要となる。では一体、何を聞けばよいのか。
話題選び
沈黙を避けるためには、相手にとって答えやすい質問をする必要がある。そのためには答えやすい話題を、答えやすい形式で投げかける必要があるだろう。
答えやすい話題として、次のものが挙げられる。
きどにたちかけせし衣食住なんて言葉もあります。気候、道楽、ニュース、旅、知人、家族、健康、性別、しごと、衣類、食、住まいに関する話題を出しておけば話の接ぎ穂に困ることはないという先人の知恵です。
これをまずは覚えることから始める。NDCなんて言っている場合ではない。初対面の人と打ち解けるのがうまい知人などを見ていると、うまくこの話題をもとに質問している。
自分語りには気後れががあるが、質問はまだマシだろう。もちろん質問への気後れがないわけではない。何か相手のタブーに触れてしまうのではないか、地雷を踏むのではないかという不安はつきまとうが、質問をしなかったがために沈黙が生じ、気まずくなる方が問題である。
地雷を踏むことはそうないし、踏んだら謝ればよいのだ。
ここで大事なのは、質問の形式をできる限り
- すぐに答えられるものにすること(具体的にすること)
- 相手を主語にすること
- 対象を些細なものにすること
にすることだという。なぜならその後の展開が楽になるためである。
たとえば、暑い日に「気候」の話題を選んで「暑いですね」だけでは「そうですね」と言われて終わりである。これはすぐに答えられる上に些細だが、相手が主語になっていない。相手が雑談の名手なら「昨日は暑くて眠れなくて、今年初めてクーラー入れました」などと広げてくれるかもしれないが、それはレアケースだろう。
「暑いですね」「そうですね」ときたら、次には相手を主語にして「昨日は寝られましたか?」などとつなげると広がりやすい。あくまで話題はきっかけにすぎず、そこから相手を主語に質問を続ける必要がある。
この記事にたどり着くような人なら、質問には大きく2種類あることはご存じだろう。
だ。YesNoで答えられる質問は答えやすいが、話が広がりにくいという欠点がある。先ほどの例で「昨日は寝られましたか?」と聞いても「ええ」と言われて終わりではないかと考えた人もいるだろう。そこから広げるには、5W1Hを駆使することになる。ただ、Why、なぜという質問は答えにくい場合が多いという。「なぜと言われても…」と聞かれた側が身構えてしまうのだ。代わりにHowを聞いていくとよい。
たとえば、「昨日は寝られましたか?」「ええ」ときたら「クーラーを入れたんですか」などと聞いてみると話が続いていく。
ここで大事なのは「なぜ寝られたんですか」ではなく、「どうやって寝たんですか」でもなく、「クーラーを入れたんですか」とHowを具体的にしていることだ。
あとは相手の答え次第だが、
- クーラーを入れるのは毎日のことなのか
- 扇風機は使うのか
- 寝るときの服装はどうなのか
- 布団やベッドはどうなのか
- まわりはうるさくないか
- 家族はどうなのか
- 冬はどうなのか
- 旅先ではどうなのか
など、「寝ること」を先ほどの「きどにたちかけせし衣食住」に関連付けていけば質問が思い浮かぶだろう。
WhyよりHowの方が答えやすいというのは寝ることに限った話ではない。相手の職業に関しても「なぜ~になろうと思ったのですか」と聞くよりは、「どのようにして~になるに至ったのですか」を聞く方が答えやすいという。
このままだとまだ抽象的なので、
- ~が子供のころから好きだったのか
- 家族に~をしている方がいるか
- ~になるために何か勉強や努力をしたのか
という質問にしてみる。その答えに関して、また先ほどの「きどにたちかけせし衣食住」と絡めるのだ。子供の頃の話が聞ければ、子供の頃の「きどにたちかけせし衣食住」を聞けばよいし、家族の話が聞ければ家族に関する「きどにたちかけせし衣食住」を聞けばよい。
ここではYesNoクエスチョンを頻発しているが、必ずしも答えが「はい」となるような質問をする必要はない。相手のことをよく知らない場合はそれは不可能だし、むしろ「いいえ」となるような聞き方をする方が相手が話してくれる。「はい」だと会話がそこで終わるが、「いいえ」となった場合には「じゃあどうなのか」を説明するのが自然なためだ。
「はい」と答えさせる質問を続けることで信頼関係を築くという技術(イエスセット)もある一方、明らかに違う推測を立てて相手に否定させ、話させるという技術(ボケとツッコミ)もある。このあたりは場合による。
余談だが、より対象に深く迫るために必要なのは、大きなwhyよりも小さなhowであるというのは生物学者の福岡伸一が映画監督の是枝裕和との対談で感じたことらしい。これは雑談にも通じる。雑談というのは、相手を知りたいという意識の表れであるためだ。 www.asahi.com
小さなhowを積み重ねるための方法の一つに、「時系列順に話を聞く」というものがあるという。
どんなに研究し尽くされている人物でも、誰にも知られていない空白部分は必ずあるものです。生年月日とか出身地とか学歴職歴ぐらいは調べればわかる。でもどこにも書かれていない年表の隙間は聞き出すことが可能なんです。 歴史小説と同じ実際の出来事をどう解釈するかによって、記録に残っていない空白を埋めることができる。 そんな時はできるだけ自然に、時系列に沿って聞いていくと話が整理しやすい。
どこで読んだか忘れたが、「女を口説くときにはその女の伝記を書くつもりで話を聞け」というアドバイスを目にしたことがある。ようやく納得できた気がする。
また、さらに関係を進める上では次のことも心がけるとよいらしい。
- 相手に教えてもらう
- 相談する
- ズームインとズームアウトを統一する
上2つは割とイメージが湧くだろうが、ここでも大事なのは相手を主語にすることである。映画鑑賞が趣味の人と話をする場合、おすすめの作品を聞くというのは悪くない選択だが、相手が主語になっていない。おすすめの映画そのものに焦点を当てる(その作品の何が面白いのかなど)よりもどのようにしてそれを好きになったのか(どこでその作品を見たのか、誰と見たのかなど)を掘り下げていく方がよいという。
モノに焦点を当てる(この場合は映画論)とどうしても専門的になってしまい、あなたがそれに詳しくない場合はついていけない可能性がある。相手もそれを気にすると話しにくくなる。
ズームインとズームアウトを統一するという表現はやや曖昧である。質問の解像度を急激に上げ下げしないということだろうか。例えば、それまで仕事の話から子供の頃の話を掘り下げていたのに、突然「好きな色は何ですか」とか「休日は何をされているんですか」といった質問を投げかけたら相手は面食らうだろう。
これが相手を驚かせるのは、それまで数ある話題(きどにたちかけせし衣食住)の中で、仕事、さらには子供の頃の話へとズームインしていたところから急に「きどにたちかけせし衣食住」レベルに戻った質問をしているためであると考えられる。
ある程度話を聞けて、今度は趣味の話を聞きたいと思ったらズームアウトを意識して「子供のころはどんな気晴らしをしていたんですか」などとズームインしていた話題に紐づけてから「(今は)休日に何をされているんですか」とつなげると自然だろう。
聞くこと
相手が話してくれているので、こちらは聞く必要がある。コミュニケーションというゲームが共同作業である以上、聞くことをおざなりにはできない。こちらの聞く態度によっては相手が話しにくくなる可能性があるためだ。
コミュ症の克服方法は自分がいかに喋れるようになるかではありません。 まず相手の話を興味を持って聞ける、さらに言えばその技術を血肉化するそのための練習をすることこそがコミュ障を克服する近道なんです。 相手の話を聞けるように練習する。相手が話をしていて楽になれる人になる。そうしているうちに少しずつ自分も喋れるようになるんですね。 そのためにはどんな技術があるのか、ここで実際に使える3つのテクニックを紹介したいと思います。相手に対して優位に立たないで済む技術。
- 褒める
- 驚く
- 面白がる
誰かに似ている。そう、サーバルである。
しかし、あまりこのように振る舞ってはどこかバカにされるのではないか(サーバルには失礼だが)と感じてしまう。そこには自分が会話を通じて優位に立とうとする、自分を守る意識がある。だが、自分がサーバルをバカにしているかといえばそうではない。世間の大半の人もそうであるはずであり、そこでバカにしてくる人間とはそれ以上付き合わなければよいだけの話である。
著者は雑談の達人は5歳児であるとし(サーバルが5歳児レベルといっているわけではない)、大人も戦略的に5歳児のように振る舞うとよいと述べる。
人に勝ちたいとか、人より優れていたいとか言って優位に立ちたいとか思うからコミュニケーションを通じて楽しさを味わえなくなっていくんです。 負け癖をつけるというのも相手の言い分に乗ってみるのも相手のフィールドでゲームをするのも、つまりはコミュニケーションにおいて相手より自分が優位に立とうとしないこと。 (5歳児は)初めから負けていることを気にしていないから、周囲を幸せにできるんですね。対戦型も協力型もない、いながらにして愚者なんです。しかし僕たちはもう子供じゃない。立派な大人なんですからあえて負けることができるはずです。相手より優位に立たない大人の作法を身につけて対戦を先に協力することができる。愚者戦略によって非戦のコミュニケーションを実践できるんです。
他にも、注意すべきこととして次のことが挙げられる。
- 相手の言うことを否定しない
- 嫌い違うは口にしない
- 自慢はご法度(~の方がすごい、など)
これはあくまで雑談としてのコミュニケーションにおいてであり、意思決定や議論などをする場においてはその限りではない。ここをはき違えるとラブホで女性を論破したり、上司に気を遣い過ぎて明らかなミスが見逃されるといったことになる。これらもある意味ではコミュ障的な行動と言えよう。
ここまでが「聞く」という点に焦点を当てたコミュ障への方策である。改めて読んでみると、雑談を通してあなたを尊重しているというメッセージを送っていることが分かるだろう。話題や質問の選び方、相手の答えへの反応の仕方のどちらも(表向きの)相手への敬意、関心がなければできないことである。雑談を通して相手が得ているものは言葉による情報(内容)ではなく、「自分が尊重されている」という思いなのである。
実際にあなたがその相手を尊重しているか否かは問題ではない。この記事で書いた技術を磨き、実際に試すことによって、「あなたを尊重している」というメッセージを少しは伝えやすくなるだろう。
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