『経済ってそういうことだったのか会議』 第7章 投資と消費

この章は投資を主に扱っている。ただ、投資を考える際にはその対となる概念としての消費を考える必要がある。
勉強会や英会話の学習などに支出をすることなどをよく「自分への投資」と言うが、経済学的な投資とは意味が異なる。経済学においてはこれらも消費に分類される。 このように、一般的な感覚の投資と、経済学における「投資」は意味が異なる。まずは投資と消費の違いをはっきりさせる。

経済学における投資は2つある

経済学における投資とは、今消費するのではなく、未来に消費すると決めることである。今消費しないということは、今投資することになるため、投資と消費は対立している概念である。 投資をすべきと判断するだけの理由(リターン)がある時、人は投資をする。例えば、持っている一万円で寿司を食べるのを我慢し、代わりに水を仕入れて夏に売りさばいたとする。それによって一万二千円を得ることができれば、一万円の投資によって二千円を得たことになる。水を飲んでしまえば消費だが、売れば投資になる。

ただ、個人レベルの投資が社会全体における投資になるとは限らない。GDPの計算方法からそれを確認する。

GDPにおける投資の種類

社会全体の投資額を見るには、GDPが役立つ。GDPの定義を確認すると

生産≡消費+投資+政府支出+輸出ー輸入
  ≡消費+投資+政府消費+政府(公共)投資+輸出ー輸入

となっていた。政府支出も消費と投資に分けることができる。2014年度のGDPにおける各項目をグラフにすると以下のようになる。

f:id:armik:20180624175742p:plain http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h27/hakusho/h28/html/n1114000.html:4 我が国の経済状況 - 国土交通省

消費+政府消費は全体の80%を占めており、輸出と輸入の差額である経常収支は-2%ほどである。残りの22%が投資になる。

投資には大きく3つあることがわかる。

  • 民間の設備投資
  • 民間の住宅投資
  • 公共投資(公的固定資本形成)

企業活動というのはまさに資本をもとに投資を行い、利益を得ることである。そのため企業の設備投資は今後の経済に大きな影響を及ぼすと言える。

日本のGDPに占める設備投資の割合は14%ほどで推移している。 f:id:armik:20180624194249p:plain https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2016/inv_01_04.pdf:1990年以降の日本の設備投資 - 財務省

住宅投資も設備投資の一つだという。三千万円のマンションを買っても三千万が消えてなくなるというわけではなく、そこから20~30年間家賃を自分に払うという形でのリターンが見込める。 住宅投資のGDP比は減少傾向にあり、3%ほどにすぎない。

f:id:armik:20180624174540p:plain 平成29年度 住宅経済関連データ - 国土交通省

民間の投資に対して、政府支出も消費と投資に分けられる。道路などのインフラが投資(公共投資)に対応する。これは5%ほどを占める。

これらがGDPにおける投資である。最終的な支出につながらなければ投資とは呼ばない。例えば、個人でトヨタ株を購入することは現在消費せずに未来に使うと判断しているため投資と呼べる。しかしながら、市場に流通しているトヨタ株を購入してもその購入額が直接トヨタに入るわけではない*1ため、トヨタの投資(支出)にはつながらない。よってトヨタ株の購入は個人で見れば投資だが、GDPにおける投資とは呼べない。トヨタ株を買ってもGDPにおける投資は増えない。

また、冒頭で述べた勉強会などへの参加は長い目で見れば今の消費を諦めることで未来のリターンを増やそうとする行為であるという点で投資であるように思えるが、そのリターンを厳密に計算するのが困難であるとして、経済学的には消費と見なされる。これは教育全般がそうなっている。

また、分配面で経常収支を見てみると

経常収支≡(貯蓄ー投資)+(税金ー政府支出)

だった。右辺を官民合わせると

経常収支≡(民間貯蓄+税金)ー(投資+政府支出)

となる。すなわち、官民合わせた貯蓄と投資の差額が、経常収支に一致する。仮に経常収支が零であるとすれば(前掲のグラフでは経常収支は2%ほどであり、零と見なせる)、貯蓄と投資は常に等しくなる。

個人が投資でなく銀行に貯蓄をした場合、銀行はその預金を企業に貸し出し、その企業が投資をする。このように、貯蓄は何らかの形で投資となるため、貯蓄と投資は等しいと言える。

投資が将来の経済に与える影響

経済学において投資が重要視される理由として、竹中は次の2点を挙げている。

  • 消費に対して景気の影響を受けやすい(景気判断の基準となる)ため
  • 設備投資の多寡は現在の需要と将来の供給量に、すなわちGDPの多寡に直結するため

消費は景気の良し悪しに関わらず一定量は見込めるが、投資は景気が悪いと落ち込む。一方、投資が少ないことから景気が悪い、もしくは悪くなると企業が判断していることがわかる。 前掲のグラフのとおり、2000年は設備投資のGDP比が12%ほどと、2009年のリーマンショック時に対応するほどに低かった。

当時の設備投資の伸び悩みの理由として、竹中は将来への不安を挙げている。

佐藤:大きな不安ってのがあるわけですね、今の社会に。見通しが立たないっていうか。
竹中:ましてや、この先年金も当てにならない。
佐藤:皆、終身雇用とか、年齢に応じて給料が上がってく年功序列のような制度の下では、そういうライフプランがずっと立てやすかったですよね。今の若い人達ってどうなんでしょう。
竹中:その意味では、もうそういう終身雇用なんてあてにせず、会社に長くいたってダメだというふうに、若い人は割と割り切ってますね。(中略)投資の時期なんですね、20代は。会社に投資してるんですよ。本来の仕事よりも安い給料に甘んじてその差額分は会社に投資してるんだよと。その代わり大きくして返してくれよと思っているわけなんですけども、その投資したものが今後は大きくなって返ってこないかもしれないということですね。

これは20年前の話である。今でも同じことを言っている印象がある。就職活動では依然として大企業が人気を集めており、新卒が強い。それでも先行きが読めずに不安であるという傾向はこの先も続くだろう。

自覚の有無に関わらず、安い給料に甘んじることは会社への投資を意味する。その結果どうなろうとも、自己責任として片づけられる。投資になっていることはもちろん、失敗した時に自己責任で処理されることも学校でも教わらない気がする。少なくとも私は大学までの教育で教わってはいない。シビアすぎる気もしてしまう。

資本主義と投資の関わりについて竹中は次のように述べている。

竹中:投資というのは資本主義の根幹にかかわる部分なんですよ。だからアニマル・スピリットが大事なんです。ちょっとしたら失敗するかもしれないけど、成功すれば大儲けができる。いずれにせよ結果については自分が責任を負う。つまり、民間の自己責任において行ってるところが資本主義なんです。個人の財産の私有を認める代わりに自らが責任を負うというのが資本主義ですよね。しかし私有財産を制限して資本主義なら民間がやる部分を政府が全部取って代わるのが社会主義です。(中略)誰も責任を負わなくていいですから、将来に対する洞察力も鈍くなるっていう可能性は大きいですね。

資本主義が社会主義との戦いで生き残った理由として国民の経済活動の自由を認めていた点がある。民間の設備投資が全て公共投資になるのが社会主義と言える。投資先を決めるのは政府であるため、選択を誤った際には大損害を引き起こすことがある。第6章ではアジアが後方連関によって発展したと述べた。後方連関を選んだのは、ソ連が前方連関を選んで失敗したという教訓があったためである。その損害を引き受けるのは国民全体である。一方、民間の設備投資で失敗したとしても、損害を被るのはその企業に投資していた人だけである*2

日本では、資本主義をどう教えるのか、また資本主義という枠組みの中で失敗した人をどう救うかが問題となっていくと思う。教育全般にかける支出が投資ではなく消費と見なされるのも気になる。公教育の設備投資は投資に含まれるのだろうか。このあたりの議論も見てみたい。

GDPの定義についてはこちら

armik.hatenablog.jp

*1:株式公開した場合は例外

*2:外部性という問題もある