『経済ってそういうことだったのか会議』 第4章 アメリカ経済
なぜアメリカはアメリカになり得たのか?
佐藤の疑問は2つある。
少々偏っている気もするが、映画などで見るアメリカ人のイメージはこれに近いものもある。
まず、アメリカが多民族国家であるということを無視できない。国土は日本の25倍、人口は約2.6倍である。東と西で時差があり、飛行機で移動するのに6時間かかる。
日本 | アメリカ | |
---|---|---|
国土 | 378,000 km2 | 9,628,000 km2 |
人口 | 1億2667万人 | 3億2314万人 |
アメリカ合衆国の成り立ちを考えてみる。メイフラワー号が上陸したプリマスという町には今でも"New World"という標識が多く見られるらしい。ドヴォルザークの「新世界」はアメリカを表している楽曲だった。アメリカに「ニュー」がつく地名が多いことにも対応している。
では古い世界とは何か。それはヨーロッパであり、イギリスであり、カトリックである。ヨーロッパ諸国、特にイギリスにおけるしがらみや失敗を繰り返さない、という決意がアメリカの建国の意識としてあるという。
竹中:カトリックとプロテスタント、この2つの宗教の対立というしがらみの中からプロテスタントたちは自由の地を求めてアメリカに渡ったんです。他の国が侵している過ちを正すためにこの国はある。つまり世界の警察、言い換えれば「世界の公共財」だという認識が、当然の前提としてアメリカにはあったわけです。
自国でイギリスのような過ちを繰り返さないというのなら分かるが、なぜ他国を正すというところまで進んでしまうのかがこれだけでは分からない。また、アメリカがモンロー主義を取った時期もあることを考えると、いまいち納得がいかない。あくまでこれは建前と考えるべきだろう。
竹中:一方で、アメリカという国は世界にコミットしていたいという本音があります。一度影響力を持つと、それを失うのはとても嫌なものなんですね。(中略)湾岸戦争の後、アメリカ軍が引き揚げるか引き揚げないかのときに、クルド族がイラクのなかで独立しようとしました。敵国であるイラクの正規軍から迫害を受けていたクルド族が独立しようとしたのだから、アメリカの立場からいうと、それを助けるのは当然ですよね。でもアメリカはそんなこと絶対にしないんです。(中略)なぜかというと、アメリカは多民族国家だから、民族の自立なんてされたらアメリカそのものが成り立たなくなってしまいます。
結局のところ、アメリカも他のヨーロッパ諸国のように利害に基づいて動いているということのようだ。
なぜアメリカはこれだけの影響力を持てるのか?
その理由の一つとして、開拓をした近代国家であることが挙げられている。アメリカは開拓をしてもらうための制度作りに長けているというのだ。
竹中:フロンティアを開拓していくのに、国はどうしたらいいかというと、頑張れば頑張るほどもうかるような仕組みを人為的に作っておいてやればいいんです。隣の人のことをかまうより、自分で開拓しろ。そうしたら、この広大な土地は全部自分のものになると。すでに村ができあがっていて隣の人と仲良くやっていきましょうというようなヨーロッパや日本とは全然違います。
このことについて分析したのがターナーによる『アメリカ社会におけるフロンティアの意義』という論文だという。これはフロンティア学説と言われる。
The Significance of the Frontier in American History - Wikipedia
この学説は1930年代までは主流だったが、1940年代以降に反論が加えられ、現在ではアメリカの発展の要因はフロンティアだけであるとは言えなくなっているらしい。
なぜアメリカはスピード重視になったのか? デファクトスタンダードの話
竹中:国境を越えて、人間を含めていろんなものが移動できるようになると、共通のルールが必要になりますね。たとえば会計基準みたいなルールが典型です。じゃあルールってどうやってできるのか……。(中略)先にやってしまったらそれが定着するわけです。これが「ドゥーファクト」です。まず事実をつくれというのが「ドゥ―ファクト」で、それがデファクト・スタンダードだ。(中略)決してアメリカが「早くやらないとミサイル撃ち込むぞ」と言ってるわけじゃないし、「みんな英語話せないと、貿易制裁するぞ」と言ってるわけでもないんですが、ほっといてもみんなアメリカの真似をしているのです。これはアメリカが「ドゥ-ファクト」で既成事実を作って世界を魅き付けていることを意味しています。(中略)では早くやるのにはどうしたらいいかというと、いろんな試行錯誤をたくさんやってる国が絶対強いですよね。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、一万のトライアルをやってたら、そのうち一つはモノになりますね。(中略)日本みたいに「そういうことをやってはまかりならん」というような規制があったら、百や二百のトライアルしかできない。そんな中から成功者なんて出てこないですよ。
デファクトスタンダードの反対がデジュリスタンダードである。標準化団体によって定められた標準規格のことで、ISOやANSI、JISなどがそれにあたる。デファクトスタンダードは独占や顧客の囲い込みが生じやすいため、それを防ぐ一面もある。
試行錯誤をやらせる方が強いということは同意できる。かといって、今の数ある制度をどのように変えればよいのかということに関しては答えを持ち合わせてはいないけれど。
フロンティアがなくなった後のアメリカ
1890年代に入ると開拓が終了してしまう。それに伴ってそれまでの原始的な資本主義が行き詰まる。それに対抗して生まれたのが進歩主義である。セオドア・ルーズベルトやウッドロウ・ウィルソンはその代表的な政治家である。労働組合や州際通商委員会、連邦取引委員会などが誕生したのもこの時代である。
これと前後して、さらなるフロンティアを求めてアメリカは世界に進出するようになる。それが第一次世界対戦や第二次世界大戦への参戦につながっていく。 第二次世界大戦が終わった後は冷戦、宇宙がフロンティアとなる。宇宙開発が一段落した1970年代に石油危機が生じ、アメリカの勢いが削がれる。
竹中:70年代、80年代とアメリカが次第に公共財としての負担に耐えられなくなって、危機がやってきます。そこで、一つの解決策として、新保守主義、つまりレーガン、サッチャー、コール、日本では中曽根さんが「小さな政府」と「規制緩和」を掲げ、流れを作っていきましたよね。(中略)ああいうふうに制約条件が大きくなったときというのは、日本がポッと浮かび上がるんですよね。
佐藤:たとえば環境問題ですね。そのアメリカと日本の関係って面白いですよね。石油ショックでアメリカが困ったとき、日本の自動車産業が大躍進したわけですよね。その意味で行くと確かに「環境」というのは希望かも知れませんね。
竹中:環境基準を厳しくしろ、厳しくしろと、世界で先駆けて言うほうが、絶対に日本の戦略としてはかなっているんです。
冷戦終結後、ついに一極支配となる。イラク戦争の失敗を区切りに現在は一極支配にも限界が見え始め、尖閣諸島の問題や基地負担の話題として日本にも影響が出始めている。 このあたりは『クレムリン・メソッド』でも触れられていた。
クレムリン・メソッドをまとめておく ~その1~ - 予行練習
現在フロンティアはどこにあるのだろうか。すなわち、今アメリカが力を入れて「開拓」している分野はどこだろうか。色々考えられるだろうが(そもそもアメリカの影響力が小さい分野というのも思いつきにくい)、まず言えるのはインターネット産業だろう。2018年5月現在の世界時価総額ランキングのトップ5は上からアップル、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト、アルファベット(Googleの母体)、そしてフェイスブックとなっており、すべてがインターネットやPCに関わる企業である。
世界時価総額ランキング2019 ― World Stock Market Capitalization Ranking 2019
少し前の話になるが、米国防総省は2011年にサイバー空間を陸、海、空、宇宙と並ぶ第5の戦場と明記し、サイバー攻撃に対する軍事的報復を示唆した。
「サイバー空間は新たな戦場」 米国防総省が新戦略 :日本経済新聞
アメリカはインターネットがフロンティアであると見なしていると判断してよいだろう。昨年から今年にかけて日本でも話題になった仮想通貨もインターネット産業の一部である。
では、それが行き詰まるとしたらいつ、どのような形で起こるだろうか。インターネットの次のフロンティアはどこだろうか。
佐藤・竹中は環境を挙げている。確かにトランプ大統領はパリ協定からの離脱を表明しており、環境問題をフロンティアとは見なしていない節がある。
トランプ大統領、パリ協定離脱を発表 同盟国や米経済界に波紋 | ロイター
インターネットというフロンティアが開拓されていった結果、環境問題の深刻化という形で行き詰まるということになるだろうか。可能性としてはあるだろう。 インターネットの維持には電気が不可欠であり、その電気は化石燃料から大半を得ているためである。 世界の電力消費量は増加傾向にあり、その8割を石油・石炭・ガスが占めている。
治安はどうだろうか。アメリカやヨーロッパ諸国が抱える問題として、テロ対策がある。インターネットの普及はテロ組織にも警察組織にも恩恵を与えており、インターネットの行き詰まりがテロによってもたらされるとは言えないが、欧米諸国で不安感が高まっているのは事実ではないか。 日本はテロによる被害が比較的少ない。少ない理由は宗教的なものや、武装のしにくさや税関の厳しさといった法制度などが考えられる。移民が少なく、国民が比較的均質であるということも挙げられるだろう。
ともかく、ニューワールド、フロンティア、そして多様性がアメリカを理解する助けとなるらしい。
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『経済ってそういうことだったのか会議』 第3章 税金の話
民主主義は税金から始まった?
民主主義は税金の問題から始まっているという。かつては王様の内ポケットと国家財政の区別はなく、無駄遣いされがちだった。すると財政赤字となり、税金を上げる。当然国民の生活は苦しくなり、国が亡ぶ。
そこで、議会によってお金の使い道をチェックしようという動きが出てくる。それが租税民主主義である。
wikipediaには「租税民主主義」は載っておらず、「租税法律主義」や「財政民主主義」として載っている。租税法律主義は、国民が定めた法律の根拠がなければ租税を徴収されることはないという考え方であり、財政民主主義は国家が財政を動かす際には国民の代表である議会の承認が必要であるとするという考え方である。租税民主主義はこの2つの考え方をひっくるめたものと考えられる。
租税民主主義が確立したのはイギリスであり、マグナ・カルタによって定められた。ちなみにマグナ(Magna)はラテン語でGreatに通じ、カルタ(Carta)もラテン語でCharter「憲章」に通じる。直訳すれば「自由の大憲章」である。
マグナ・カルタでは君主主義であることは変わらないが、税金に関しては国王の決定だけでは徴収できないように制限している。
理想的な税のあり方とは?
民主主義が生まれた理由の一つが税金のことを決めるためであるならば、税金がどのように定められているかはその共同体のあり方を示しているといえる。
佐藤は税制に不満を持っている。
僕自身のことを言うと、今の税に対しては、正直なところ不満だらけなんです。たとえば働くのが嫌になる税金のシステムというのは、すごくつまらないですよね。
それに対して竹中は、人頭税が理想の税だと説く。なぜか。
政府が市場に対してできることというのは、行政指導や補助金などがあるが、どれも恣意的であり不公平でもある。残された最後の手段が税金だという。
税金はなぜ正当化されるのか。その理由の一つは税金による治安の維持だという。夜警国家や、自由主義国家論という考え方では、国家の機能を最低限に抑えるべきだとし、その最低限というのは治安の維持や国防だとした。 当然だが、国家が機能を持つには税金がなければならない。
一方、重税に苦しむ国民や佐藤が言うように、悪い影響を与える税もある。その善悪はどのように判断されるのか。竹中は「租税原則」として次の3つを挙げている。
- 簡素であること 徴税の条件や額などが分かりやすいこと。
- 公平であること 誰かが極端に多く徴税されるという事態を避けること
- 中立であること 税が社会に与える影響を一部の人間に偏らせないこと
これは財務省のホームページでも紹介されている。 www.mof.go.jp
これだけでは曖昧過ぎる。特に公平と中立は定義が難しいだろう。
公平には垂直的な公平と水平的な公平の2つがあるという。
水平的な公平とは、受ける益が同じであるならば払う額も同じであるという考え方である。 垂直的な公平とは、税金を払う能力がある人は、能力がない人よりも多く払うべきだという考え方である。ただ、どの程度差をつけるべきかという議論には終わりがない。
人頭税とは、水平的な公平を目指したものであると言える。確かに公平ではあるだろうが、結果論というか、既に多くを持つものの論理だという気もする。 自分の能力が高いから、自分が努力したからそれだけの収入を得たのだ、それを国に取られるのは不当であるという意識や、払えない人は努力していないため(自己責任)であり、それをわざわざ補う必要はないという意識が見える。 実際には、成功要因には運の影響が強いというのは広く言われていることではないのか。
近年では、世代間の公平が重要視されているらしい。
消費税の是非
佐藤は消費税に賛成だという。
僕自身の感想としては、消費税が日本に導入されたときはこれで不公平税制が少しは緩和されると思って嬉しかったんだすけど……。(中略)単純に贅沢した人からお金をとればいいじゃないかという意識があるんですよ。おいしいものを食べたとか、お酒を飲んだとか、娯楽をしたとか、別荘を買ったとか、そういう余力のある人には余分なお金があるわけですから、お金とれるんじゃないかというのがあるんです、自分には。
誰からいつ税を取るかは長く議論されてきた。負担の形には応能負担と応益負担の2つがある。使うかどうかに関わらず支払い能力に応じて税を取るのが応能負担であり、便益を受けた人から税を取るのが応益負担である。所得税は応能負担であり、消費税は応益負担である。 水平的な公平は応益負担、垂直的な公平は応能負担ともいえる。
どちらが理想的かいうと、長い期間で考えた場合、稼いだ額はいずれその子孫によって使われると考えられるため結局取られる額は法律が変わらない限り同じであり、いつ取られるかが異なるだけである。
しかしながら、所得を把握するのは国家にとって難しい。一方消費を把握するのは簡単である。GDPは消費から計算されるという話だった。消費税が選択されるのはそのような意識があるという。
今はこうは言えないと思う。佐藤は贅沢に税をかければよいといっているが、消費税は商品に関係なくかかるものであるため、贅沢をしていない(できない)人にも課税される。 私は学生なのでまとまった所得はない。そのため贅沢どころではないが、昼食のパンにもしっかり税を取られる。
所得税
『フェアプレーの経済学』という本が紹介されている。この本では、所得の再分配が働く気をなくさせるという議論がされているらしい。 現在の日本の所得税は以下のとおりである。
課税される所得金額 | 税率 | 控除額 |
---|---|---|
195万円以下 | 5% | 0円 |
195万円を超え 330万円以下 | 10% | 97,500円 |
330万円を超え 695万円以下 | 20% | 427,500円 |
695万円を超え 900万円以下 | 23% | 636,000円 |
900万円を超え 1,800万円以下 | 33% | 1,536,000円 |
1,800万円を超え4,000万円以下 | 40% | 2,796,000円 |
4,000万円超 | 45% | 4,796,000円 |
この本が書かれた1998年当時は65%が課税されていたらしく、今では45%と少なくなっている。 ただ、これはwikipediaのリストとは一致しない。wikipediaによれば、98年度では最大税率が3000万円越えは50%であり、65%を超えていたのは1986年までである。 財務省のホームページを見てみると、65%というのは所得税単体ではなく、個人住民税との合算であるということが分かった。これらを合わせたものを広義の所得税というらしい。
累進課税を導入しても高所得者の労働供給が抑制されないことが実証により示されている(高い所得税を課された場合に労働供給をしなくなりやすいのはむしろ低所得者である)。 という主張もある。これは八田達夫の教科書が出典となっている。前々から読もうと思っていたので次に読んでみる。
竹中:今の日本で言うと、人口の所得上位6%の人が、税金の40%を払っているんです。(中略)サラリーマンの約30%は、所得税を一円も払っていません。課税の最低限が非常に高いからです。
このあたりは本当なのか疑わしい。具体的な根拠が挙げられていないためなんとも言えないが、所得上位6%が一体どれだけの所得を持っていたのかを明らかにしなければこれが不当かどうかを議論できないだろう。 また、ここでは税金として一般化しており、所得税だけの話ではない。贅沢していれば払う税金も増えるはずである。
課税の形
先ほど挙げた3つの租税原則に加えて、考えるべきは徴税コストである。源泉徴収はそのコストを抑えるために採用されているといえる。アメリカやイギリスでも採用されている。
源泉徴収では給料をもらった段階ですべてが終わっているため、納税者の納税意識が高まらないらしい。また、年末調整も企業がやるとなれば、さらに意識が低くなるという。確かに年末調整はアメリカやイギリスではされていない。
竹中:サラリーマンというのは、基礎控除と言って、みなしの経費がかなり手厚く認められているんです。その結果が、課税最低所得の491万円(98年度)です。
先ほどの、サラリーマンの30%が所得税を払っていないというのはこれが根拠なのだろう。30%が控除によって課税対象から外れていたのだ。
現在では夫婦子2人(高校生・大学生)の給与所得者の場合、課税最低所得は345.5万円である。これは夫婦のいずれかが扶養に入っている場合である。 www.mof.go.jp
現在ではどうなのかを調べるのは難しい。少なくとも、
1000万世帯を超えなお増加中…共働き世帯の現状をグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース
出生数・出生率の推移 - 少子化対策 - 内閣府
から、課税対象となる世帯は増えていることが推測される。また、最低所得も下がっている。狙い通り、「公平な」課税になったというわけだ。 この本では課税最低所得が欧米諸国と比べて低いといわれている。比較は一概にできないと思うのだが、その根拠はなんだろうか。
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『なぜこの人と話すと楽になるのか』・『なぜあなたの話はつまらないのか』 ~こちらが話す~
前回の記事では雑談としてのコミュニケーションとして、「聞く」ことに焦点を当てた。
雑談においては、基本的には聞いていればよい。しかし、時には自分の話を求められることもあるだろう。また、自分の話をすることで相手も話しやすくなるという側面がある。
質問一辺倒ではやはり限界があるため、数冊の本を参考に話し方の工夫をまとめる。
基本的な姿勢
前回の記事では、雑談に必要なのは(表向きの)相手への敬意だとも述べた。その考えに基づけば、相手に話をする上での基本的な姿勢は次のようになるという。
- 嘘は禁止(1を10にするのはよいが、0を1にしてはいけない)
- 答えにくい場合は黙秘権を行使する
- 自慢はご法度
- 自分の話から質問につなげられるようにする
嘘をつくのは賢明ではない。言葉で嘘をつけても、行動では嘘をつけないためだ。相手に言葉とは別のところ(表情、声のトーンなど)でバレる可能性が高い。 バレなければよいが、バレた場合、相手は自分が尊重されていると感じることはないだろう。
答えたくないことを聞かれた場合には、嘘をつくよりも黙る方が良い。相手も無理に聞いてきたりはしないだろう。拒絶はよくないと考えるかもしれないが、嘘をつくよりはマシである。相手を拒絶しているのではなく、質問に拒絶しているだけであるためだ。 逆に、こちらの質問に対して相手が答えにくそうな場合は、無理に聞き出すことはしない方が良い。
自慢も賢明とはいえない。自分がどう見られたいかを自分で規定しており、相手の判断の余地を与えていない(相手を尊重していない)ためである。また、自慢をはじめとするマウンティングを始めると、上には上がいるためにそのゲームの勝者は一人しか存在しないことになる。マウンティングの勝者が雑談の勝者となるわけで、勝者は確かに心地よいだろうが、敗者はそうとは限らない。時にあえてマウンティングに負けてくれる人がいるが(満足げの孫に対して、敵わないなあ、と笑っているおじいちゃんを思い浮かべてほしい)、それはコミュニケーション巧者と言える貴重な存在だろう。雑談としてのコミュニケーションはその場にいる全員が参加するゲームであり、全員が勝者となりうることを思い出せば、マウンティングは勝者を減らす行為であり、合理的とは言えない。
雑談というゲームにおいてはマウンティングに勝利する必要はないし、負けたとしてもそれはあなた自身を否定するものではない。
質問の方の記事では、主語を相手にするとよいと述べた。話す方でも同じで、自分(もしくは知人や家族)を主語にするとよい。モノを主語にしてしまうと相手に伝わりにくい上、それに相手が興味を持てない場合は話が続かない。 自分は~だけど、そっちはどう?と質問につなげられるとよい。
また、前回の記事では書かなかったのだが、雑談をする際には相手の目を見ることが極めて重要であるという。
相手の目を見るというのは慣れていないと難しい。特に難しいのは話をする時だと思う。話を聞く時にはあれこれ考えなくてすむので意識して目線を相手に合わせることができるのだが、話をする時にはあれこれ考えながら話すため、あらぬ方向を見がちである。
よくあるアドバイスとして、目ではなく鼻や首元を見る、相手ではなく相手の裏にある壁を見るなどがあるようだ。前回紹介した吉田尚記さんも、いまだに目を見るのは苦手らしい。
先日ツイッターで見たのは、VRが目線を合わせる練習になるという意見だった。
VRのアダルトビデオを見る機会があったけれど、VR空間でめちゃくちゃ人と目を合わせるハメになったので人と目を合わせる訓練によいとおもった
— kentz1 (@kentz1) 2018年6月7日
正直笑ったが、バカにできない。そもそも雑談する機会が乏しい人に関しては、VRが「コミュ障」改善の一手となるのかもしれない。
具体的な話題選び(第一段階)
基本的な姿勢については述べたので、より具体的な話題選びについて述べる。ただ質問に答えたり自己開示するだけでなく、より相手が面白がってくれそうな話を選ぶことで雑談がスムーズに進むという。
まず、聞き手に話を「面白い」と思わせるためのポイントは何か? それは、話手が話てがその話を「面白い」と感じているかどうかではなく、聞き手がその話に共感するかどうかで決まるのでした。 そして、聞き手が話のテーマを経験していれば、より強く共感してもらえるということも学びました。 例えば、あなたが無類の野球好きで、野球好きにはたまらないネタを話したとしても聞き手に野球の経験が全くなければ共感してもらえません。 だから面白い話をするためには、より多くの人が経験したことのある共感度の高いネタを選ばなければならない。
例として、次の3つが挙げられている。
- 情けない話(失敗談)
- 例え話
- コンプレックス
「きどにたちかけせし衣食住」の中で、これらに関するものを選ぶとよい。失敗談を話すと笑われると思って話せないことが多いだろうが、雑談における勝ち負けは沈黙や気まずさであることを思い出すとよい。
失敗談によって盛り上がれば、あなたは勝者となる。そこで軽蔑してくる人間とは付き合わなければ良いだけの話である。もちろん極端な失敗談や犯罪体験などはNGだが。
例え話は、分かりにくいものを分かりやすくするために使われる。例えば、統計を勉強している場合、「料理しているときに、どんな味か知りたかったら味見するでしょ?そのとき全部食べたりしないよね?全体を調べることなく、一部から全体がどんな感じか予想するのが統計だよ」などと説明するというものだ。もちろんこれは厳密ではないし、統計の中でも推定の話しかしていない。雑談においては厳密さは二の次である。
また、自分の失敗談と絡めて「その時の自分の動きはあまりにギクシャクしていて、ロボットみたいだったって友達に言われたんだけど、よく考えたらもうロボットの方が滑らかに動ける時代だよね」などと、動きの様子を例えることで理解しやすくなる。
コンプレックスも失敗談に近い。「コミュ障」っぷりをネタにすれば良いだろう。私の鉄板ネタは「そういえば、小学生の時に、『10年後に君はモテるようになるよ』と励まされてからもう10年が経った」である。 文字に起こすと下らないことこの上ないが、会話では案外ウケる。
テレビを見ると、コンプレックスに自虐を交えてトークをする人が多い。プロでも採用する戦略と言える。
これらのネタを瞬時に出すことは芸能人でも難しいらしい。そのためきっかけがあれば携帯にでもメモしておくとよい。
話の構成(第二段階)
話題選びをクリアしても話す順序がバラバラだったり適切でなかったりすれば面白い話にはならない。せっかくの面白さがうまく聞き手に伝わらない可能性もある。
話を面白く伝えるには正しい順序でフリオチを効かせて話すことが必要だという。フリオチには次のような役割がある。
- フリ 聞き手にこの話は次はこうなるだろうという想定をさせる
- オチ その想定を裏切る想定外を引き起こす
フリで聞き手に想定をさせて後で想定外を引き起こすには、フリとオチが逆の内容で矛盾していなければならない。 第一段階で聞き手が共感するネタを選び、そのネタをフリオチを聞かせて話す第二段階をクリアすることで聞き手にとって面白い話が成立します。
他愛のない話でも、フリオチを効かせることでメリハリが出る。例を挙げる。私はよくコンビニで買ったパンを電子レンジで温めて食べる。安いパンでも温かいだけでおいしくなる。
その日私は新発売だという「練乳ミルククリームの香ばしフランス」を購入し、いつものように電子レンジで温めた。その結果がこれである。
ただでさえ微妙なこの話を、最初に写真を見せて話したらどうだろうか。また、「温めたらクリームが溶けた話なんだけど」と始めたらどうしようもないだろう。
フリオチをするには、まずオチを決める必要がある。次に、それを予想させないフリを考える。
オチは第一段階で選んだ話題となる。そして、それにつながるフリを考える。フリはオチと矛盾していれば(逆接でつながれば)よい。
他にも、相手に注意を促す方法として次の二つが挙げられている。
- アバン法
- クエスチョン法
アバンとはアバンタイトルのことで、テレビ番組などでCM前に流れるCM後の簡単な予告のことである。 フリが長くなる場合、話の概要を先に述べることで注意をそれるのを防ぐ。
クエスチョン法とは、話の冒頭や途中に「~って知ってる?」などと質問を入れて相手の注意を促す方法である。情報番組やプレゼンなどではよく用いられる。
ここまでのフリオチ推しを見ると、なぜフリオチが面白いと感じるのかが気になってくる。
フリオチを使えばよいというものでもないだろう。面白いものが全てフリオチであるとも思えないし、フリオチの中にも優劣はあるだろう。
フリオチはよく笑いの説明で言われる「緊張と緩和」の一形態なのだろうが、そのあたりについては詳しくないので調べてみようと思う。
さらなる工夫
さらに面白く話をするために、本で紹介されていたテクニックについて簡単に触れる。
ただ、私のような「コミュ障」には難しいと感じた。以下の工夫を取り入れたがゆえに、話をするのに精一杯で相手の反応を見られなかったり、次の話題につながらなければ本末転倒である。
- 意外な共通点を利用する:シンクロニシティ法
- いつもと違うキャラを演じる:ギャップ法
- 聞いたこともない音を送り出す:変則擬音語擬態語法
- 気持ちよくけなすという高等技術:愛の毒舌法
- 例えツッコミ法
- ひとり芝居法
- 適温下ネタ法
- 雑学プレゼント法
シンクロニシティ法とは、相手と自分との共通点を強引に見出して話を広げていく方法である。相手の職場や趣味、誕生日などを掘り下げていけば何かしら共通点が見つかるらしい。
ギャップ法はそのままである。初対面では難しいかもしれない。
変則擬音語擬態語法は変わった擬音語や擬態語を繰り出す方法である。リスキーではあるが、音ネタに弱い人は一定数いるのでハマれば強い。
愛の毒舌法もそのままである。これも信頼関係がなければできないが、相手がコンプレックスや情けない話を出してきてくれれば使っていけるだろう。
例えツッコミ法は相手の様子を何かに例える方法である。相手の話へのツッコミとしてできるためやりやすい。ラジオや漫才はツッコミのオンパレードであり、流用できる。
ひとり芝居法は落語のように、複数の登場人物を一人で演じ分ける方法である。演じ分けがヘタならそれはそれでネタになるため、試す価値はあるだろう。
適温下ネタ法は程よく下ネタをまぜる方法である。加減が難しいが、お酒が進んでからの方が良いかもしれない。
雑学プレゼント法はそのままである。ネットやツイッターで得た知識を披露しよう。
最後に
前回の記事とこの記事では、雑談をいかにテクニカルに乗り切るかを考えてきた。そこで大事なのは、雑談は話の内容そのものではなく、雑談しているという状態そのものに価値があるということだった。
そして、雑談を通じて互いに互いが尊重されているという意識を持つことができれば、沈黙から生じる気まずさに勝利できるということだった。
そのために、相手に話をさせるための質問の仕方と、聞き方についてまとめた。次に、こちらが話す際の話題選びや構成の注意点についてまとめた。
改めて記事を読み返してみると、雑談というのはかなり複雑なプロセスの繰り返しだということだ。雑談がうまい人(いわゆるコミュ強)はこれを無意識のうちに日々行っていることに驚く。
この記事を読んでいる人の中でも「こんなのは普通だ、今さら何を言っているのか」と考える人もいるだろう。
ただ「コミュ障」はこのような「普通」のことにも苦労する(苦痛を感じる)人であるといえる。
そのため、「コミュ障」がこのような複雑な雑談を一朝一夕にできるようにはならないだろう。
失敗を繰り返しながら(地雷を踏み抜きながら)改善していくものだと思う。
例えば、次の質問を考えるあまり相手の話を聞けなかったり、相手の話に過剰に反応しすぎて胡散臭がられたり、下手にウケを狙って顰蹙を買ったりといったようにだ。
雑談をするのは気まずさを払拭するためなのに、雑談によって気まずくなるリスクがあるのだ。まずはそのリスクを引き受けなければならない。
リスクを分散させる方法としては前置きが使いやすいだろう。質問などの発言の前に「答えにくいかもしれないけど」や「正直に言うけど」と、これから言うことが地雷を踏むかもしれないを分かっているが、あえて言わせてほしいというアピールである。
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