教師に面と向かって反抗する生徒について、三島由紀夫はこう心配している

有名な『不道徳教育講座』に「教師を内心バカにすべし」というものがある。長いので抜粋する。

学校の先生を内心馬鹿にしないような生徒にろくな生徒はない。教師を内心バカにしないような学生は決してえらくならない。……こう私は断言します。しかしこの「内心」という言葉をよく吟味してください。この一語に千鈞の重みがあるのですから。

(中略)

学校の教師はズレていると諸君は思う。よろしい。我々の少年時代にも、教師はたいていズレていて、その時代的センスたるや、噴飯ものであった。一方ではバカに新しがりの教師がいて、こういう教師は一層鼻持ちならなかった。我々が内心教師をバカにしていたのも無理はない。

(中略)

少年期そのものについては、諸君の方が先生よりよく知っているのだ。人生は忘却のおかげで生きやすくなっているので、かりにもし、諸君の悩みを一緒に本当に悩んでいる先生がいるとしたら、先生自身、大人と少年の矛盾にこんぐらがって、自殺してしまうにちがいありません。

(中略)

理解されようとのぞむのは弱さです。先生たちは教育しようとします。訓示を与えます。知識を与えます。理解しようとします。それはそれでいい。それが彼らの職業なのですから。

しかし諸君の方は理解されようと願ったり、どうせ理解されないとすねたり、反抗したりするのは、いわば弱さのさせる甘えに過ぎぬ。「先生なんて、フフン、俺たちを理解なんかできるもんか」と、まず頭から、考えてまちがいない。その上で、「フフン、勉強はしてやるが、理解なんかされてやらないぞ」という気概を持てばいい。私の言いたいのはそこです。

(中略)

先生にあわれみを持つがよろしい。薄給の教師に、あわれみを持つのがよろしい。先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人の中で一等手強くない大人なのです。ここを間違えてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。

そう思ったら、教師をいたわってて、内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやればよろしい。人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、自分で解決しなければならないと覚悟なさい。

(中略)

この世の中で先生ほどえらい、なんでも知っている、完全無欠な人間はいない、と思い込んでいる少年は一寸心細い。しかし一方、「内心」ではなく、やたらに行動にあらわして、先生をバカにするオッチョコチョイ少年も、やっぱり弱い甘えん坊なのだと言って、まず間違いはありますまい。

自分の悩みは自分で解決しろ、先生に悩みを理解してもらおうなんて思うな、というさすがのマッチョ思想である。

ただ、先生は大人の中でも御しやすい方だというのは確かだろう。プライベートはともかく、生徒と先生という関係ならなおさらだ。

不道徳教育講座 (角川文庫)

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